「社会人」という言葉が気持ち悪い、ハッキリ言って嫌いだ

「社会人」という語の裏にあるもの

「社会人」という言葉は往々にして「学生」という言葉と対比させられている。言葉にされていなくても暗黙のなかで「学生と社会人は違う」という考え方が透けて見える。

「社会人の常識」「社会人の心構え」「社会人としての自覚」という言葉の使われ方を見ていると、それが「勤め人」を指すことがわかる。

「社会人の常識」などの内容を見てみると、メールは手抜きだから電話しろとか、「ほうれんそう」怠るなとか、身だしなみがどうのこうのとか、そういうことが細かく決められている。全くもって不自由極まりない。これほどの縛りがあって窮屈に感じずにはいられない。常軌を逸している。正気の沙汰ではない。

滑稽なのは、ブルジョワジーの手先に成り下がった自覚もない「社会人」の大先輩(笑)ども、奴隷根性が染み付いている奴らが、「社会人」という言葉を盾に同調圧力をかけることだ。

そんな同調圧力をかけられた経験はアルバイトのときにも、会社員時代にもイヤというほど経験してきた。

語法を見てみると「社会人」という語は使用人・労働者を統制するために使われている、体のいい同調圧力に用いられているにすぎないことが容易にわかる。

社会人というのは「プロレタリア」「社畜」「労働者」「サラリーマン」を指している。「社会人になる」などという言葉は一生使いたくない(便宜上「社会人クラブのバドミントン」という言葉にはのっかるけれど…)。

そもそも「社会」とはなんだ

同じく「社会に出る」という言葉が死ぬほど嫌いだ。

学校を卒業したら社会に出る?

なんと学校は社会ではないらしい。あんな世の中の縮図みたいな場所が社会でなくてなんだというのか。

ところで、社会というのはなんだろうか。「社会人」論者の皆さまにはぜひお答え願いたい。

そもそも「社会に出る」という言葉を使っている人間の大半がろくに「社会」の定義もできやしない。

考えたこともないのだから当然だけど、「社会」が何かも答えられない人間が「社会人が〜」などと講釈を垂れるなんてのは、まことに滑稽な話だ。いやはや全くもって傑作だ。もういっぺんプラトンからやり直してこいザコどもが。

仮に「社会」というのを人の集まりだとするならば、学校はもうすでに「社会」だ。だいたい「社会人」がどうのこうの言う連中に言わせると、驚くことに「主婦、学生、ニートは社会人ではない」という。

そんなごく一部の「社会」なら参画する価値もない。こっちから願い下げだ。学生気分上等じゃねーの?

「はてなキーワード」の定義に喝采を

学生・生徒などに対し、社会に出て働いている人の事。労働を通じて社会に参加している人。企業から見ると使用人のことであるが、使用人と言うのは語感が悪いので、しばしば社会人と言う言葉が用いられる。

引用元:社会人とは|はてなキーワード

依然として「社会に出る」という言葉は気持ち悪いけれど、それでも「企業から見ると使用人のことであるが、使用人というのは語感が悪い」と言ってみせた「はてな」の定義には喝采をおくりたい。

学生諸君!

「社会人」という言葉に惑わされるな。

どれほど偉そうにふんぞり返っていても結局はタダの人間だ。

人間の精神なんてのはそう簡単に高められない。ゲーテが言うように、ほとんどの大人は身体が大きいだけの子供だ。クソガキが図体だけでかくなっただけだ。

そんな奴らは上から見下ろしておけばいい。

愚鈍な奴らに同調する必要などない。それが、新年度を迎えたあなたたちへ伝えたいことだ。