男だけど「はたらいてガツガツ稼がないといけない」風潮が生きづらい件【ジェンダー論と男性学】

アローラ!イエロー(@inahime_poke)です。

働きたくないでござる!!!絶対に働きたくないでござる!!!(ガシィッ(AA略

…コホン。男性であるが求められる役割って、なんかいろいろありますよね。はたらいてガッツリ稼がないといけない…みたいなことが期待されるよね。でもそれってなぜなんだ?って素朴な疑問がわいてきます。

今回はそんなところからスタートしましょう。

「男性像」という呪い

男性には男性の徳が、女性には女性の徳というのがあるらしい、

プラトンの対話篇『メノン』では、ソクラテスとメノンの対話の冒頭において、ソクラテスの「君は徳とは何であると主張するのかね?」という問いかけに対して、メノンがこんなことを言っています。

メノン「まず、男の徳は何かとおたずねなら、それを言うのはわけないこと、つまり、国事を処理する能力を持ち、かつ処理するにあたって、よく友を利して敵を害し、しかも自分は何ひとつそういう目にあわぬように気をつけるだけの能力をもつこと、これが男の徳というものです。さらに、女の徳はと言われるなら、女は所帯をよく保ち夫に服従することによって、家そのものをよく斉えるべきであるというふうに、なんなく説明できます。」
 
出典:プラトン『メノン』(藤沢令夫訳)13頁、岩波文庫、1994年。

まあこれは、古代ギリシャの自由民のなかでの「男性像」「女性像」なので、現代のそれとはズレがあります(そこにこそ古典を読む醍醐味がある)。いまだったら炎上不可避案件。

それはさておき、「男たるもの、かくあれかし」「女たるもの、かくあれかし」って規範意識はどこのコミュニティでも存在している。生物学的な「性(セクシュアリティ)」ではなく、社会的な「性(ジェンダー)」ってやつだね。

オリンピックなど、スポーツにおいて男はたくましく、女は美しくあることが求められている。それはコスチュームなんかを見ていればただちに明らかになること。

→参考:“女性の 「ユニホーム」:オリンピック選手とクラシック演奏家の場合”

で、そういうジェンダーに囚われすぎた発想は女性にとってあまりに窮屈だ…というのは随分と浸透してきているんじゃないかと思うんだけど、男性にとってもやっぱり窮屈なんですよ。

男なら強くなくちゃいけない?

これを現代日本に置き換えて考えてみる。男性は稼ぎがよくて、女性をリードできなきゃいけない。そういう規範意識みたいなのが存在している。男性にはそういう役割が期待されている部分がある。

それが息苦しい。

別に周りからどう思われるかなんて無視すればいいんだけど、単純に鬱陶しい。

たとえば、同棲していて共働きの男女2人に対して「男のほうが稼いでるんだよね?」って当然のように質問を投げてたりする人もいるけど、それも1つ。

この手の話になるとぼくはいつも疑問に思うのだ。「なんで男性のほうが女性より稼がないといけないの?」

暗黙の前提として、男性には「一家の大黒柱になる」という役割を期待されている。男性が女性に養われているなんてもってのほか。そういう考えを持っている人は少なくないだろう。

そうした考えは周りからの冷ややかな目線のみならず、男性本人の「スティグマ」としてあらわれる点にも見出されよう*1。データや統計なんて取ったことないけど(笑)、体感レベルとしてそういう「信仰」みたいなのを見出すのは容易なこと。

そして「大黒柱」はその役割の重さから逃げられないように、世の中には様々なしくみが用意されている。

結婚、子供、そして住宅ローン、カーローン、教育ローン、さらには世間体…。いろんなものが足かせになる。どんな事情があったとしても「大黒柱」たる男性は、途中で投げ出すこともできない。男性であるがゆえに定年まで働くことを強要されるのだ。

「強い男」の実例

はたらくことに限らず「男性は強くたくましく、猛々しくいなければならない」…という意識は、程度の差こそあれほとんどの人間が持っているでしょう。

  • 「泣かないの!男の子でしょ!」
  • スポーツをしているときの「男のくせに女に負けるな!」
  • 共働きの2人に対する「男のほうが稼いでるんだよね?」
  • 本人が希望するピアノではなく、男であることだけが理由で子供に柔道を習わせる
  • 少女マンガを読む男の子に対する、周囲の冷ややかな目線

などなど、求められる「男性像」は現代でも根強く残っているといえます。

ヴェブレンからジェンダー論を考える

こういう「男は強く」という意識の起源はどこにあるんでしょうか。

ぼくが感銘を受けた本の1つである、ヴェブレン『有閑階級の理論』をひいてみよう。以下の引用部は、まだ文明が成熟しておらず掠奪行為に走りがちな「野蛮」な狩猟民族の職業分化について言及しています。

功名と賤労の区別は、両性間の格差に符号する。…(中略)…功名の部類に属する広い範囲の活動は、よりいっそう頑丈で力強く、いっそう急激ではげしい緊張に耐えることができ、またいつでも自己主張、積極的な競争、攻撃などに走りやすい男性に帰属する。…(中略)…大きな獲物を追求する習慣は、ますます多くの腕力、敏捷、残忍といった男性的資質を要求する。だからそれは、両性の間の職能の分化を促進し拡大させずにはおかない。
 
そのような狩猟民族の掠奪的集団のばあいには、戦いを行い、狩猟をすることがすぐれた肉体をもつ男性の職務となる。女性は女性にあたえられた外の仕事をする。――男性の仕事に適していない他の成員は、そのために女性の部類に入れられる。
 
出典:ヴェブレン『有閑階級の理論』(小原敬士訳)20-21頁、岩波文庫、1961年。

自分なりに約言すると、こういうこと。

  • 狩猟は掠奪行為であり、名誉のある職務である。それは腕力がモノを言う。だから男性的職業へとなっていった。
  • 生産は非掠奪行為であり、不名誉な職業である。腕力がモノを言わない。だから女性的職業へとなっていった。
  • なお、掠奪行為に適さない男性は女性的職業(不名誉)へと組み入れられる。

で、ヴェブレンが冴えてるなあって思うのはこの先。男性の「掠奪的行為」について言及している部分です。

女性の仕事とはもっとも遠く分岐した野蛮民族の男性の仕事であるから、武勇の発揮をともなわない努力は、すべて男性に値いしないものとなる。このような伝統が固定化してくると、その社会の常識はそれを行動の規範にまで高める。したがって、このような文化段階では、武勇――武力や詐術――を基礎としておこなわれるもの以外は、いかなる職業、いかなる獲得も、自尊心をもつ男性にとっては道徳的に不可能なものとなる。
 
出典:ヴェブレン『有閑階級の理論』(小原敬士訳)20-21頁、岩波文庫、1961年。

「道徳的に不可能」とすら言い切ってるのがやばい。

「一家の大黒柱」たる男性は「その武勇に裏打ちされる職業をしなければならない」という規範すら出来上がってくるわけです。

ぼくなりに、さらに現代風に言い換えると、だいたいこんな感じ。

  • 掠奪能力の有無は「腕力」によって決められる。
  • 昔の掠奪能力が、現代における「稼ぐ能力」である。
  • 大人なら「稼ぐ能力」がなければならない。

「男性は一般的に女性よりも身体能力に優れている」という、たったそれだけのことがスタート地点になって、男性は掠奪に代表されるような「武勇」を発揮した仕事につくことが求められる…って説明することができる。

「男が事務職」は未だに一般的じゃない

ヴェブレンの説明からは、「男の事務職」がなぜ未だに一般的ではないのかの一端が明らかになる。

つまり「男の事務職」は「掠奪」に属さず、黙々と服従する「勤労階級」に属し、それ自体が「女性的」だとみなされるから。

なんとなく世の中において男性が総合職、女性が事務職って棲み分けになっていたのは野蛮時代の線引がルーツになってるって考えることは十分に可能なわけですよ。

…なにそれアホらしいわってぼくなんかは思うわけ。古代、中世、近代ぐらいまでならいざしらず、なんでポスト近代に入ってまで「武勇」とか言ってんの?いつまで狩猟民族時代の価値観の残滓に振り回されてるんだって感じ。

「女性の総合職」がいるんだったら「男性の事務職」がいてもいいんじゃない?って思うのよ。

ちなみに企業側が「事務職の男」を集めない理由もヴェブレンをひけばわりと説明できるんだけど、それは本題から外れすぎるので稿を改めようと思いますw

さあ、いまこそジェンダー論

こういう議論は、ジェンダー論を学んでみるときっともっと見えてくることがあるでしょうね。

大学のときからずーっと学ぼうと思っていた「ジェンダーとセクシュアリティ」の問題。本屋さんでザーッと見出しと最初の数ページ読んでみたけど、入門書としてよさそうだったので近いうちに買って読む予定。

このエントリーでは「男性像」に囚われすぎた発想が鬱陶しいって旨のことを書いたけど、もちろん女性でも同じこと。女性だって「女性像」に囚われすぎず、自由にやるべしと思います。

ぼくは『PiPiPiアドベンチャー』っていう「ちゃお」連載のポケモンのマンガめっちゃ好きでした。コミックス全巻持ってますb

いまいちど「ジェンダー」に囚われすぎた発想になっていないか、自問してみてはいかがでしょう。

ぼくが理想としているのは、ジェンダーレスではなくてジェンダーフリーの社会です。境界をなくせって言ってるんじゃなくて、「らしさ」に囚われないで生きていこうぜってこと。

※当エントリーは、「男」「女」の二元論で話を進めたけれど、トランスジェンダーのような人々を扱いきれていません。これはひとえに著者の力量不足です(ほぼ無知のため)。勉強したらもっと違ったエントリーになるかもしれないけれど、現時点での到達点をこうして書き留めておこうと思います。

きょうの ぼうけんは ここまで
イエローでした~

*1:つまり「俺は彼女のヒモ」とはなかなか言えないってこと。