当ブログについて

当サイトにきてくださってありがとうございます!

管理人のイエロー(@inahime_poke)です。

当ブログの説明をしておこうと思います。

コンセプトは「有閑階級に憧れるプロレタリアートのブログ」です。

有閑階級って?

今日の我々には馴染みのない言葉かもしれません。有閑階級の読み方は「ゆうかんかいきゅう」です。英語ではleisure classといいます。

馴染みがないかもしれませんが、その特徴を見てみると、意外なほど今日の我々の価値観にも根ざしていることがわかると思います。

その特徴としては以下が挙げられます。

  • 生きる糧を得るのに困っていない(時間と金がある)
  • 衒示的消費(見せびらかしの消費)
  • 衒示的閑暇(時間的余裕)
  • 生産的な労働からの免除
  • 政治、宗教、スポーツなどの栄えある職に就く

たとえば、現代人があえて高額ブランド品を買うのは、ある種「ステータスの誇示」という面があることはどうしても否定できないでしょう。

そして、往々にしてステータスの誇示には身の丈に合わない、ちょっと背伸びした高額商品を買っちゃいがちですよね。これこそが衒示的消費です。

また、ホワイトカラーとブルーカラーという区分があるように、高学歴の人間ほど肉体労働を忌み嫌うように、職業の貴賎という意識はいまでも今日的な価値観として残存していることが確認できます。

「働かないことこそ、ステータスの誇示だ!」というヴェブレンの指摘は「勤労は美徳である」という意識の濃い現代の日本人にとってなかなか衝撃的な指摘なのではないでしょうか。ぼくはハマりました(笑)

詳しいことを知りたい人は、「有閑階級」という言葉を提唱した異端の経済学者ヴェブレンの著書『有閑階級の理論』を読むといいでしょう。個人的には岩波文庫版がオススメですが、現在新品で入手可能なのは講談社学術文庫版です。

俺は有閑階級になりたい!!

…という密かな野望を長年抱いているので、そのまんまブログのコンセプトにしちゃいましたw

プロレタリアって?

プロレタリア階級は、ブルジョワ階級と対にするとわかりやすいですね。

ブルジョワ階級とは、近代的資本家階級を意味する。すなわち、社会的生産の諸手段の所有者にして賃金労働者の雇傭者である階級である。プロレタリア階級とは、自分自身の生産手段を持たないので、生きるためには自分の労働力を売ることをしいられる近代賃金労働者の階級を意味する。

引用元:マルクス、エンゲルス『共産党宣言』40頁、岩波文庫、1951年。

おっと!ちょっとまってほしい。私は共産主義者ではありません。

この本は序盤だけ読むと普通に資本主義について論じているので、一読の価値は普通にありますよ。むしろ文系大学生なら必読でしょぐらいのレベル。

ともかくプロレタリア階級ってのは、自分の労働力を売ることでしか生活できない人のこと。つまり現代的にはサラリーマン一般を指していると言っていいでしょう。多くのフリーランスだってそうだよね。

端的に「働かないと死ぬ」って人たちのこと。ぼくだってプロレタリア階級の人間の1人です。

当ブログは、プロレタリア階級の一員であるイエローが、有閑階級を目指してがんばるぞー的なブログです。

なんてふざけたブログなんだ!と思ったあなたは、すでに資本主義的道徳にすっかり毒されているかもしれません。

当ブログで取り扱う題材

趣味・娯楽

有閑階級は「生産的なことをしなくても生きていける」というステータスの誇示のため、あえて生産的な活動に従事しなかったのです。それらの仕事は「卑しいもの」として、きっちり分化されていました。

つまり有閑階級といえば非生産的なことをする!娯楽、趣味、あるいは何もせずゴロゴロする。それでいいんですよ。

当ブログでは、主にポケモン、オリックス・バファローズ、アニメ、スフィア(特に豊崎愛生さん)、ClariSなどの話題を取り扱います。

知的生産

有閑階級といえば非生産的なこと…と言いましたが、もちろんその内容は娯楽だけではありません。

一般的な人にとっては娯楽や趣味だけが余暇を慰めてくれる手段になるかもしれません。しかし知的生産に携わるということも忘れてはいけないでしょう。毎日セコセコ働いて、家庭のことに気を取られていると、まちがいなく「知的生産」「思索に耽る」という発想にはなりません。

精神的活動こそ、有閑階級の1つの大きな役割でもあります。アリストテレスも、ショーペンハウアーも、ルソーも、一生食うに困らない身の上だった(つまり有閑階級だった)からこそ、一級のすぐれた精神を後世に残すことに成功したのです。

彼らが「お金のために書いた」からではなくて「その事柄のために真摯に向き合って書いた」から価値がある。だからこそ数百年の時を越えて、はるか離れた日本の地で今日まで読み継がれているわけです。

それはいかなる著作家たりとも、かりにも金銭第一主義で筆をとり始めるや、ただちに破滅せんという呪いである。偉大なる人々のもっともすぐれた作品はすべて、無名の著作家であるために無報酬で書かなければならなかったころに、あるいはごく少数の報酬で書かざるをえなかったときに生まれたのである。

引用元:ショウペンハウエル『読書について』26頁、岩波文庫、1960年。

端的に言って「純粋に表現のために絵を描くこと」と「金のために絵を描くこと」では、圧倒的に前者の絵のほうが価値が高いですよね。ショーペンハウアーはいいとこついてると思います。

プロレタリア奮闘記

こんな理想を描く空想家みたいなことを言ってますが、ぼく自身は現在絶賛プロレタリア生活の真っ最中ですw

ぼくは会社員としての活動があまりにもあわなかったため、個人事業主(フリーランス)として活動を開始しました。

そんなわけで、「俺たちはプロレタリアートだ」というクソダサイ合言葉を掲げて、プロレタリア奮闘記をこのブログでは記していこうと思います。

バドミントン関係者のみなさまへ

移転しました。詳しくはこちら。

バドミントン関係者は、もうこのブログを読むなください