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ペンと羽根と、ペンライト

バドミントン歴10年のイエローが、バドミントンに関する様々な情報を中心に発信するブログです。コーチの依頼も受け付けています。

「教えられなくても、考えればわかる・できる」という妄言について

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アローラ!イエロー(@inahime_poke)です。

人間は、スポーツの指導者や会社の上司など、誰かを育成する立場に立つと「教えられなくても、自分で考えればできる」という言葉を使いたがるみたい。

今日はそんな妄言に対して一言いわせてもらいまーす。

「考えればできる」はミクロレベルで正しい

バドミントンのジュニアを見ているとおもしろいもんで、コーチが誰も教えていないはずなのに、自分で考えて色んなプレーをやってます。

事例1:シングルスのバックサーブ

たとえば、シングルスをやっているときにバックサーブからスタートしている小学生の子がいた。小学生でそれをやる子は珍しいと思う。

そこでその子に対して「誰かコーチに教えられたのか?」と質問したんだけど、答えはノーだった。トッププレーヤーの動画を見てその真似をしたんだそう。

事例2:フリックサーブ

昨日はジュニアの試合があったんだけど、そのときに今まで一度も使ったことのないフリックサーブを突然使った子がいて、それにも驚いた。

あ、フリックサーブってのはこれね。男子だとデンマークのヨルゲンセン選手など、女子だと比較的多くのトッププレーヤーが使ってて、ぼくもときどき使いますw

さて、その子に聞いてみると、数週間前の試合で相手にフリックサーブをやられて、とてもやりづらかったから自分でもやろうと思ったんだそう。

事例3:フォア奥の飛びつき

あるいは、フォア奥にきたクリアーを、サイドステップでジャンプして飛びついてクロスカットを何本も決めていた子がいた。

その子が「自分で考えて」その動きを身に着けたことは明白です。だってそんな動き方の反復練習はほとんどやっていないから。

ただ、その基礎となるステップ走は普段からやっているので、その打ち方を自分で考えたというか「閃いた」のでしょう。

このように、自分なりに様々工夫して、自分で考えていくことはとても大切であり、おおいにそうした工夫をしてほしいところ。

「考えればわかる」はマクロレベルで間違っている

さて、上に挙げた事例を指導者がどう捉えるかが問題です。

  • あの人は教えてもいないことを自分で考えてできている。すごい!←わかる
  • だからできない人はダメだ。だってあの人はできているじゃないか。←は?

「考えたらわかる」はレアケース。たった1件のレアケースだけを取り上げて、残りの9割以上の事象を無視するのはあまりに怠慢と言わざるをえない。管理職のみなさ~ん、聞こえますかー?^^

つまりね、先程あげた3つの事例(バックサーブ、フリックサーブ、フォア奥の飛びつき)をやっていたのはすべて別々の子どもなんですよ。

フォア奥の飛びつきをやっていた子が、フリックサーブを打っているのを見たことがない。

バックサーブ打ってる子が、フォア奥の飛びつきをやっているのを見たことがない。

したがって、事態はむしろこういうことだといえます。

  • 教えられていないことができない→当たり前
  • 教えられたことができない→教え方が悪いか、反復練習不足

「考えたらわかる」んだったらそもそも指導者なんていらないでしょwww

かくして、指導者がどのように教えるのかという点が問題になってくるわけです。

プレーヤーは指導者の鏡

基本的に、人間ってのはマクロレベルで見れば教えられないことはできません。

「子どもは指導者を映す鏡」ってよく言われるみたいだけど、教えたことがその通りに、ダイレクトに反映されてくるよ。

個々に運動のクセというか個性があるから、ミクロのレベルでは「教えたとおりに動いてくれない」ってのはあるかもしれないけれど、マクロのレベルで見れば「教えたとおりに動く」ものです。

たとえば、大阪府のとある高校のプレーヤーは、ほとんど全員がインパクトの瞬間に腕を耳にくっつけて掌屈を使ったスナップでオーバーヘッドストロークを打っていました。

その学校の人は、おもしろいほどに全員が同じような打ち方なんです。

それを見たときに「ああ、そういうふうに指導されているんだなー」とわかりました。かわいそうだとは思う。

チーム全体としての課題があるなら、それは指導者側に還元されるべき問題…ということ。

補論:「考えればわかる」という妄言

私見だけど、指導者側としては「考えればわかる」と言うべきではないんじゃないかあなんて思います。

だってそもそもね、あらゆることは「考えたらわかる」わけですよw

三平方の定理だって、三角関数だって、2次方程式の解の公式だって、「教えられなくても、考えたらわかる」。もともと自分で導けるもの。

ぼくは進歩主義者ではないけれど、人間がこれほどまでに一気に繁栄してこられたのは、過去の蓄積を言語化して後世に残すことができたから。

過去の蓄積がなければ、せっかく閃いたことも自分が死んだら消えてしまう。新しく生まれた人類はまた同じ問題を考えなければならなくなる。

三平方の定理を発見したピタゴラスだって、それを後世に残したからこそ、後に生まれてくる人類は「直角三角形の辺の長さの求め方」に苦心しなくてすんだわけよ。

人類は長い目で見れば「スタート地点」を更新し続けてきたわけ。「考えればわかる」ことを、「学べばわかる」ようにしてきた。

大学以降の数学がどうなのか知らないけれど、少なくとも高校までの数学で我々が学んでいるのは「数学史」だよね。

数学界には過去に偉人が考えたり閃いた末に到達した事柄の蓄積があります。高校までひたすら数学を学ばされるのは、それをひたすらに叩き込んで大学数学への「スタート地点」に立ってもらうため。

これはもちろん歴史学界であっても、哲学界であっても、バドミントン界であっても同じこと。

そのコミュニティというか業界のなかには何らかの蓄積がある。その歴史的蓄積を「アーカイブ」としてイチから体系的に学ぶわけですよ。

そしてその「アーカイブ」をわかりやすく伝えることこそ、指導者の役割の1つだ…と思っています。

これはバドミントンであっても会社のような組織であっても同じことだよね。

これがわかっていないと「能力の高い子」「センスのいい子」が全体のほんの一握り頭角を現すだけで、チーム全体としてレベルが底上げされない…と私なんかは思います。

なんでもかんでも個人に還元すべからず。むしろ指導者に還元すべし。

これをプレーヤー側が言い出したら悲しくなるけど、指導者側の心構えとしてはそのぐらいじゃないといけないよな…と改めて思ったのでした。

きょうの ぼうけんは ここまで
イエローでした~
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