指導者が「褒める」ことの効用不効用と「褒めて伸ばす」の私見

アローラ!イエロー(@inahime_poke)です。

ぼくはどちらかと言うと「いいところを口に出す」タイプだと思ってます。これは指導者によってスタンスがわかれると思いますし、指導の対象によっても好みがわかれると思います。今回はそんな「褒める」ことの効用と不効用について。

…あ、この記事のタイトルの「効用不効用」って「根性ド根性」みたいですね(ぜんぜん違う

褒めることの効用

意欲がわく(動機づけ)

日本体育協会で書かれている『公認スポーツ指導者養成テキスト』から引用してみます。

野球をはじめたばかりの小学生。初めてのゲームの初打席、高めの球を豪快に三振してベンチに帰ってきた。そのプレーヤーに対して、あなたならなんと声をかけるだろうか。

  1. 「なんでそんな、高めのボールを振るんだ!次からはもっとボールをよく見ていけ!」
  2. 「ナイススイングだ!次は、もっとバットがあたるコースを振ってみようか!」

引用元:日本体育協会『公認スポーツ指導者養成テキスト』 第12刷、25頁、2016年。

で、1のように言われたプレーヤーは「バットを振ってはいけない」と思い、ど真ん中の球を見逃し三振して再び怒鳴られる。2のように言われたプレーヤーは「ナイススイング!」が嬉しくて、バットを振ることに意欲が生まれて、どのコースならバットがあたるか自分で考えるようになる。

…みたいな旨のことが書いてありました。やや単純化した例かもしれないけれど、コーチにほめられれば楽しさを覚えて自発的に考えはじめる、ということをこの一節は指摘しています。

シングルスで「スマッシュを相手の正面に打つから自分がしんどいんやろ!考えろ!」って言うのと、「いい球いってるから、決まりそうなコースに打ってみよう!」って言うのとでは、大違いだと思います。

この2つ、全く同じ事象に対して改善を促す言葉なのですが、たぶんのびのびやれるのは後者の方。で、その子がコースを散らしてスマッシュが決まろうものならしめたもの。「そう!できるやろ!?」って是認の言葉をかけてあげる。

人間は理性だけでなく感性の生き物です。感性にも訴えかける言葉があったほうがいい。「いいところを褒める」というのは動機づけのための課題提起の言葉になりうる、ってことかなと自分は理解しています。

水かけ言葉は絶対ダメ

先ほどの野球の例で言えば、高めのボール球に手を出して空振りしたプレーヤーに対してかけた言葉、全面的な否定の言葉が「水かけ言葉」です。

このブログでは何度か引用している外山滋比古さんの『思考の整理学』より。この人は「スポーツ」ではなく「着想」でも同じことを指摘しています。

せっかくこれはと思った着想などを、ほかの人からにべなく否定されてしまうと、ひどい痛手を受ける。当分はもう頭を出そうとしない。ひょっとすると、それで永久に葬り去られてしまうかもしれない。…(中略)…全面的に否定してしまえば、やられた方ではもう立ち上がる元気もなくなる。自分でダメだというのでさえひどい打撃である。ましてや他人からダメだときめつけられたら、目の前がまっ暗になってしまう。

引用元:外山滋比古『思考の整理学』147-148頁、ちくま文庫、1986年。

対象が大人でも子供でも同じだと思います。水かけ言葉は絶対ダメ。これは肝に銘じてやってます。

ピグマリオン効果

さて、「褒める」ことの効用が見られるのは、何もスポーツに限ったことではない。再び『思考の整理学』から。

学校のクラスを2グループに分けてテストを行います。Aグループの答案には採点をして返却。Bグループの答案は採点をせずに「よかったよ」とだけ1人ずつ直接伝える(答案の返却をしない)。Bグループの生徒たちは点数がわからないけれど、褒められるのは悪くないのでそのまま席につく。

それを繰り返したあと、さらにテスト。今度はAB両グループの答案を採点してみると、Bグループの方が平均点がよくなるんだといいます。こういうのをピグマリオン効果って言うらしい*1

根拠のない褒め言葉ですらパフォーマンスを左右する。ましてや、「コーチ」という立場から与える言葉の持つ影響力は小さくないということ。

この「できる気がする」ってのは結構大事って話をもう1つ。高校1年生のときに体育の先生から聞いた話でハッキリと覚えていること。

2つのボールがあります。その2つのボールは、重さ、材質、大きさなどが全く同じ。唯一違うのはボールの色。1つは白でもう1つは黒。色以外の条件は全く同じなのに、遠投の記録は白いボールのほうが良くなるらしいんですよ。

理由は簡単。白いボールはなんとなく「軽そう」だから。黒いボールはなんとなく「重そう」だから。

つまり、大変興味深いことに「なんとなくできる気がする」って主観的な要件だけでパフォーマンスが変わってくるわけです。

自分を信じてやるってのは大事。指導者側としてはそういう言葉をかけてあげることが大事なんだと思います。

褒めることの不効用

長期的に見て「この人はいつも褒める」

以上見てきたように、「褒める」という行為は短期的に見ると効用があるのかもしれないけれど、長期的に見て不効用ともなりえるんじゃないかとも思ってます。

いつも褒めていると、その指導者の言葉は響かなくなってしまうんじゃないかな、とも思うわけです。「こいついつもお世辞言ってんな」みたいな。ある意味では信頼感をなくすということにもなりかねない。

恋愛とかで「誰にでも優しい男はやめとけ」みたいなことが言われることがありますが、たぶんそんな感じw

ぬるま湯

「できないことから目をそらす」となってしまいがち。

「それっぽいことを言っておく」というだけでいいので、ある意味では指導者としても楽チンかもしれません。

また「できないこと」にフォーカスせず「できること」にフォーカスするというのは、ある意味で指導を受ける人にとっても居心地がいいものでしょう。

根拠のない褒め言葉ですら「ピグマリオン効果」がある。しかしそれだけで「できないこと」の改善ができるわけではない。たとえばトップレベルのプレーヤーを養成することは難しいんじゃないかな、とも思います。

「怒らない人だ」という認識

「この人は全く怒らない人だ」だと「なめてかかる」人も増えるだろうし、チームとしての統率も取れない。動機づけの水準が高いプレーヤーですら、コーチがいないとすぐ遊びます。これはマジ。目を光らせておくってのは大事。

ぼくは「指導者があんまり感情的に怒るべきではない」と考えているんだけど、怒るときは怒る。諭してもダメなら怒る。

法学をちょっとかじれば必ず出てくるのが「正義の女神」です。この女神さんは片手に剣、片手に平等の天秤を持っています。

画像出典:ユースティア|Wikipedia

正義の女神さんが剣を持っていなかったら、言うことを聞かない人が必ず一定数出てくるよね。武器を持たない(執行力のない)警察は、犯人からナメられますw

裁判に意味があるのは、公権力によって強制執行をすることができるからです。他方、国際司法裁判所の判断は規範となり得ても強制執行をすることができません。それは国際社会において権力を掌握した中央政府の存在しないから。

だから褒めるときは褒める。諭すときは諭す。それでもダメなら怒る。

平凡極まりない結論だけど、自分であーだこーだ考えて至った結論だから価値があるんです。借り物の考え方じゃなくて自分から産み落とされた結論だからそれでいい。

「褒めて伸ばす」の私見

「褒める」はあくまでも成長のための動機づけであるべきだろうと思ってます。

結局、目的は「動機づけをいかに高めるか」「競技レベルをいかに向上させるか」であり、褒めるも叱るもそのための手段。

指導者によって向き不向きはあるだろうし、プレーヤーによっても「褒められて伸びる」タイプとそうでないタイプとがあるでしょう。あとは場面に応じて最適化させるのみ!(それが難しいんですが)

「褒める」をベースにバランス良く

個人的な経験ですが、叱られるよりも褒められたほうが気分がいいんですよねw

叱られて「なにくそ!」と思って成長できる人もいるかもしれないけれど、そうやって成長した結果、その過程の時間は「楽しかった」ものには多分ならないと思う。

ぼくは小学校の時にやってた軟式野球がそうでした。練習はアホほど厳しい声をかけられて、毎日練習はきつかった。体罰もありました。

チーム内の成績はトップだったし、上達した実感もあったけど、小学校3年間で野球はやめてしまった。結果的に足も速くなったし、肩も強くなったし、野球の観戦も楽しめるようになったし、いいことはあったけど、今もう1回野球をやろうとは全く思わない。それは「野球が楽しくなかったから」の一言につきます。

理論的支柱のある「褒める」を

できれば根拠のある「褒め言葉」をかけてあげたいもの。そしてそこから課題の克服につなげていきたい。

で、いま自分に圧倒的に足りてないのは課題の抽出。まだトッププレーヤーを見てあげることはできない。サポートはできても自分が1人で「育てろ」と言われたら無理です。

他の指導者が抽出した課題点、チームとして設定された課題点を、自分なりの言葉で伝える…というところまではだいぶできるようになってきたかなと思う。

ただ、そもそも「課題の設定」ができないことも結構多い。子供たちのプレーを見てどこが改善すべき点なのか、そもそも見抜けないことがある。見抜けたとしてもうまく言葉にできないこともある。

そこに今の自分の限界を感じているので、日々の練習で引き出しを増やそうとしてます。

きょうの ぼうけんは ここまで
イエローでした~
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*1:外山滋比古『思考の整理学』149-151頁、ちくま文庫、1986年。