<寄稿>好きこそ物の上手なれ正しいんじゃないか説

アローラ!イエロー(@inahime_poke)です。

さて、コラボ企画の第4弾!今回はアイドルの「ちくりん」さんから寄稿いただきました(*´艸`*)

趣味、学問、アイドル、スポーツ。どの領域でも、一度スイッチが入ると突っ走って、「究める」という言葉がふさわしいレベルまでいってしまう。ぼくの憧れるハイスペックさんです。

そんなちくりんさんに「何かにハマる人が結局最強なんじゃない?」って旨の記事をいただきました。では早速いってみましょう♪

どうも、ちくりんです。

はじめましての方がほとんどだと思うので自己紹介を軽く。

京都府嵐山が大好きな竹林系アイドルです。今は竹が自生しない地に暮らしています。

この記事を書く中で徐々に大まかな経歴は明らかにしようと思うのですが、ざっくり言うとスポーツ大好きな理系の人です。

度々球場に足を運ぶオリ姫(バファローズファン)で、プロ野球の応援歌厨(自称)でもあります。

普段は変なことばかり考えています。やるときはやる子なんですが…。

さてさて、そんな私が今日持ってきた説はこちら。

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水曜日ではありませんが()某番組にあやかってタイトルコールしてみました。

やる気を駆り立ててくれる原動力は結局「好き」って感情なんじゃないかというお話です。

こうした内容の記事でコラボさせていただいてるのは、イエローさんが私の経歴を知ってくれており、評価してくださっているからだとありがたく受け止めております。それも踏まえていろいろお話しましょう。

やる気の原動力になる感情

やる気って、「よし、やろう!!」ってなる原動力ですよね。

そのきっかけになるものってやっぱり何かしらの出来事で生まれた感情でして、個人的にはそれは大きく分けて、正の感情と負の感情の2つに大別できると思います。

正の感情は、「好きだ」とか「楽しい」といった前向きな感情。負の感情は「嫌いだ」とか「腹が立つ」といった感情のことです。

基本的にこれらの感情に動かされて、やる気を出してきた私ですが、この2つの感情は大きく異なる部分があります。

単刀直入に言うと、長続きしないんですよね、負の感情によるやる気って(正確には、正の感情によるやる気の中にも長続きしないものがあります)。その理由を、体験談を交えてお話しますね。

負の感情で動いたちくりんの体験談

自己紹介でスポーツ大好きと言った私ですが、中学校時代は野球をしていました。その中で某地域の選抜選手として全国大会に出場したこともあるのですが、この頃の私を動かしていた原動力は、まさに負の感情でした。

私はピッチャーだったのですが、規模の大きいチームだったせいかバッテリーは固定制でした。そして私のペアとなったキャッチャーは、私との相性が最悪でした。笑

自分が投げる試合は必ずその人がキャッチャー。ハッキリ言って当時そのキャッチャーに球を受けてもらいたくないという気持ちでした。しかしもちろん自分がレギュラーになれないのも嫌でした。

そこで中二病をこじらせていた私は、「このキャッチャーが捕れない剛速球を投げて、キ○タマに当てて怪我させればいいのではないか」と考えました。アホですね。後悔はしていません。

つまり、「ペアのキャッチャーが嫌い」という負の感情が、「球を速くする」というやる気を私に与えてくれました。

それから猛練習の日々でした。ブルペンでキャッチャー相手に何球も投げこみました。もちろんペアのキャッチャーも下手ではないのでほとんどの球は捕られます。

たまにショートバウンドで当ててしまうことがありましたが、「それでは意味がない、直接ぶつけて粉砕してやる」と、あくまでキャッチャーが捕れない剛速球を求めました。

その結果、キャッチャーのキン○マは粉砕できませんでしたが、その学年にしてはかなり速い球を投げており、しかも狙っていたキンタ○の高さがちょうど低めいっぱいのコースだったので、制球力のある速球派ピッチャーとして評価されるようになりました。

そうした経緯で選抜選手に選ばれるようになったのはよいのですが…さてその後、選抜大会で先発登板した私はどうなったのか。

結論から言うと、まったく歯が立ちませんでした。

人に向けられた感情は長続きしない。

なぜ通用しなかったのか。理由は自分でもわかっています。キャッチャーです。選抜大会でバッテリーを組んだキャッチャーの○ンタマを粉砕する意欲が沸かなかったのです。

あの試合、私はモチベーションを何に見出せばいいのかわからなくなりました。迷いの中投じる球は、これまで投げてきた球と比べスピード、キレ、制球力のどれを取っても劣っていました。

これなんです。初めは楽しいと思って始めた野球でしたが、私はいつしか野球そのものへの感情ではなく、人に向けられた感情をやる気にしていたのです。

負の感情でやる気が長続きしないというのはこれで、負の感情というのは「あいつが嫌い」とか、「あいつの仇」とか、人に向けられた感情なんですよね。

ほら、負の感情がそのもの自体に向けられた感情ならそもそもやる気が起こらないはずですよね。私も野球が嫌いならとっくに辞めてましたし。やる気を引き出す負の感情がそのもの自体に向けられるとは、少し考えにくいですよね。

そして、負の感情を向けた対象の人物がいなくなれば、そのモチベーションは下がってしまいます。これは正の感情でも同じことです。要はやる気の原動力となる感情が人に向けられている場合、その人の存在がなくなれば一気にやる気は下がります。

こんな経験ないでしょうか?高校1、2年生の時に数学を教えてくれた先生が好きで苦手な数学をがんばったけど、3年で数学の先生が変わり、受験の年にもかかわらずやる気が下がってしまった、なんてこと。

これも同じで、教科ではなく先生という人に向けられた感情だったからです。だからこそ教員は人間的な良さだけではなく、教科の面白さも伝えてほしいものだと思うわけですが。まぁそのお話については、今回は置いておきましょう。

とにかく、好きな人がよく聴いているからと聴きはじめた曲、あいつが嫌いだから倒すためと頑張った野球など、人へと向けられた感情ではなかなか長続きしないというのが、個人的に、そして周りを見ていて思うことです。

ゴールの先にあるもの

では人でないところに向けられた正の感情は長続きするのかというと、そうとも言えないのが正直なところですね。

私はこれでも某国立大学の某学科、そしてその大学院の某専攻でともに首席入学を果たしている。アイドルのくせにたまにはやるでしょ?笑

おいおい自慢かよと思われるかもしれないですが、卒業時は首席ではないです。どういうことかというと、在学中に周りの人に成績で抜かれているんですよね。

そりゃ学ぶ内容は入学前と後では異なります。ですがそれ以上に、勉強の目標が「合格すること」にあったこと。これこそが、最大の原因だと私は思います。

私は結構完璧主義な性格なので、少しでも穴があると不安になります。なので合格のために必死で誰よりも勉強しました。紛れもなく「合格してこんなことをしたい」という、正の感情でした。

そんなこんなで死ぬ物狂いで勉強した結果、首席合格というおまけつきで入学を果たしました。本来ここからが本番なんです。「やりたいこと」があったから、そのためにと思って嫌いな科目もやる気を出して勉強したわけですから。

実際、大学や大学院はいわば入学がゴールではなくスタートであるべきです。私もそう思っていたのでそれなりに勉強はしました。しかし、やりたくない勉強はほとんど一切やりませんでした。それをやる目標がなかったため、やる気を見いだせなかったからです。

こういった人は私を含め何人もいると思います。このケースも先程と同じで、そのもの自体に感情が向いてないんですよ。勉強が好きだから、ではなく、合格したいから、という方向に向けられた感情が駆り立てたやる気ですから。

すると、それまで合格するために嫌々やっていた科目は、目標がなくなった入学後にやる気を見いだせなくなるんですよね。おそらく本気で学ぶことが好きな人に在学中抜かれたのでしょう、その人物は本当に尊敬に値します。

結局何が最強か

これまで長々と話してきましたが、じゃあ結局何が最もやる気を持続させるのかというと、やはりそのもの自体に向けられた正の感情だと思うんですよね。

学生時代、勉強が嫌いな人がなぜ勉強を嫌うか。一つの要因として、知らないうちに周りと競わされるからということが挙げられると私は思いますね。だから自分ができない教科を嫌いになる人が非常に多い。

例えば周りと何にも比べないとして、とりあえずいろいろ教えてみたら案外興味を持つ子って多いと思います。教科という体系では広くても、「この教科のこの範囲」というくらいでも、競わないでよくければ、それに興味が持てたりするものではないでしょうか。

あなたが今持っている趣味って、そんなものじゃないですか?基本的に周りと比べようとあまり思ってない。ただ好きだからやっている、というもの。

始めたきっかけは今となっては後付けできるけど、最初は「なんかやってて楽しい」とかそんな感じのもの、多いと思います。そして気づけばそれなりに上達している。継続は力なりと言いますが、やはり知らないうちに多く触れてきたのだと実感します。

私はプロ野球の応援歌なんかがそれですね。今でこそ「あれはここがいい」とかなんとか言ってますけど、初めに耳に入ってくるときにビビッと感じるものがあったから自然といろいろ調べていて、知らない間に他の人に語れるほどに詳しくなっていた…これが大事なんだと思います。

好きなことって、やってて苦じゃないんですよね。だから知らない間にわりと上達していたりします。それに、好きで続けていることがあれば、自分では気づかないうちに他人よりすごい部分って身についているものです。

私で言うと、物理がそれに当たります。計算がすごく苦手で算数で躓いてましたが数学や物理は好きでした。しかし算数に加え、物理的思考が身についていない高校1年生の時、物理のテストでは赤点スレスレの点数連発でした。

しかし好きだからとコツコツやっていると次第に理解できるようになっていき、最終的には物理を自分の武器として、味方につけて受験に臨むことができました。

趣味を物理というと気持ち悪がられますが、私自身がそういった内容が好きなので趣味と呼びます。これに関して言えば勉強なので、嫌でも誰かと成績を比べるということだってあります。しかし、好きだから勉強するだけで、誰かに点数で勝とうと思ってやっているわけではありませんでした(勝てたらそりゃ嬉しいけど)。

今の日本って趣味を公言しにくいなと個人的に思います。「ダーツが趣味です」と言えば、「へぇー、うまいんだ」みたいに言われる。趣味と特技は違うのに。

だから無趣味の人というのが現れる。「ただ、なんとなく好きで、下手でもやってて楽しい」くらいの理由で趣味と言ってはいけないような風潮を少し感じることがあります。上手くないと、詳しくないと、趣味と言っちゃいけないのでしょうか。

ですがそれでも好きだと思える人はいます。そして、「それが好きだから、少しでもうまく(詳しく)なりたい」と思えるなら、それはかなり芽が出る可能性を秘めていると思います。だって、周りと比べてではなく、純粋な興味ややる気で自分を動かせているんですから。

周りよりできないこと、たくさんあると思います。でも周りと比べる必要はないと思います。自分の好きなことを、自分のペースでやっていくのが上達への一番の近道だと思います。それが時に自分の武器となり、味方となりって感じだと思います。

好きこそものの上手なれ、という言葉、すごくいいと思います。下手と言われても、周りに何と言われようと、好きならやり続けてみましょう。

そこにゴールも、人の介入も要りません。自分が信じた道を、ただ楽しいと思う方向へ進むというのが、本来人間のあるべき姿なのかもしれないですね。だからこそ、何かにハマることって、最強の燃料になるんだと私は思います。

自分の好きな道を爆進する、憧れのイエローさんのブログへの寄稿ともあって長きにわたり真面目に(本当にまじめだったのか定かでない表現もあったかもしれませんが笑)書かせていただきました。

ちなみに私は、プロ野球の応援歌や、その他さまざまな自分の趣味について語る自己満ブログが存在します。今はプロ野球のオフシーズンともあってたまにしか更新していませんが、よろしければ是非とも覗いてみてください。

ではでは、ちくりんでした!まったね~♪


親しみやすい文章と例示で読みやすくて説得力もありました!個人的には「負の感情」で速球も制球力も兼ね備えた全国レベルのピッチャーが育つということに驚きますwww

「上手くないと、詳しくないと、趣味と言っちゃいけないのでしょうか。」という一節にはハッとさせられました。 「周りと比べてではなく、純粋な興味ややる気で」好きなものがあるなら、それを貫くべきだよね!ってすっごく共感します!

ちくりんさん、改めてありがとうございました♪

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