読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

未だに新聞読む奴wwwwwwwwwww

イエローです。

 

こんな一幕がありました。

親「朝日あかんから産経にする」

ぼく「いや、そもそも新聞やめろよ」

 

粗悪品

新聞ってほとんど読んだことがない。昔、親にすすめられて新聞を読んでいたこともあった。1週間ぐらいね。うちは昔朝日新聞をとっていたので、天声人語だけ夏休みに読んでたこともあった。でも結局全くおもしろくなかったからすぐ読まなくなった。ここで言う「おもしろい」とは娯楽的な面白さではなくてinterestingなおもしろさを指す。すなわち新聞が私のインテレストを刺激するような、知的好奇心をかきたてるような、そんな内容かどうかが問題である。まずもって、紙面の文体がおもしろくない。あの他人事のようなよそよそしい視点、そして無責任な態度。

輪をかけてひどいことに、日本において「報道は中立的であるべきだ」という考え方が大勢を占めている。しかし、そもそも中立的な報道などありえない。人が情報を伝達するとき、意識的であるかを問わず、伝える情報の取捨選択を行っている。人はある情報を選び、ある情報を捨てるのである。例えばその日に行われた国会の内容をたった1分で伝え終わる。とすると残りの数時間の情報は捨て去られるのである。何を伝え、何を伝えなかったのか。その選択にこそ主体の個性があらわれる。そしてその選択というのは、必ず主体の価値観に規定されるものなのである。また、芸能人の不倫や、スポーツ選手の賭博や、政治家のスキャンダルについては明らかに「中立的」ではない。

 

新聞特有の言葉の使い方も気に食わない

EUのことを「ヨーロッパ連合」ではなくて「欧州連合」と記載している。文字数の節約になるからでしょ。同じ理由で、接続詞「が」を多用されているのも目につく。その「が」は順接ですか?逆説ですか?あるいは句点を打つべきところなのに接続詞を挟んでいませんか?新聞を見ていれば、限られた紙面の中で情報を詰め込むために新聞特有の言い回しが使われている。ショーペンハウアーの指摘する通り*1、こんなものは「国語破壊」以外の何物でもない。有害極まりない。

 

「新しいこと」に新しさを感じない

新聞、あるいはニュースは新しさを強調する。しかし新しければ重要だというのは誤っている。3年前に起きたこと、1年前に起きたこと、1か月前に起きたこと、あなたは即座に答えられるだろうか?そしてそのニュースの今日的意義はどこにあるだろうか?これに答えられないならそもそもマスメディアの報道を受け取る価値などない。どうせ時間が経てば大半のことは忘れ去られる。その程度の価値の低いことに対して時間を割いて新聞を読み、テレビから流れるニュースを浴びる。あなたは自分のその行為に疑いを持たないのだろうか。北海道で児童が行方不明になったとかどうでもいい。

そもそも、NEWSって言うけど歴史学ゼミの卒業生としては、「新しさ」がほとんど感じられない。その動向を追うほどの価値がある事象だとはとても思えない。なるほど個々の事例についてはまるで新しいものかもしれない。しかし本質的には昔おきたことが繰り返されているだけ。新しさの強調に対して、この金言に目を向けたい。「歴史は繰り返さない。しかし韻を踏む。」

 

話題作り()

会社勤めをしてから驚いたんだけど、「世間話の材料になるからマスメディアの報道をチェックしておく」という頭の弱い人も結構いるみたい。世間話しか話題がない程度の人間関係なら最初から作らなくていい。そんな価値の低いことのためにわざわざ時間を捨ててまで新聞を読んでテレビのニュースをチェックする意味がわからない。そんなに誰かと群れたいのだろうか。

 

 

新聞読むぐらいなら古典読むほうがよっぽどいい。プラトンの対話篇から得るもののほうが圧倒的に大きいでしょ。ニーチェ様の偉大な一言でこの記事を締めたいと思う。

ドイツ人は火薬を発明した。まことに注目に値することだ!――しかし彼らはそれを帳消しにしてしまった――その発明を台無しにしてしまった――彼らは新聞の発明したのだ*2

 

 

*1:ショウペンハウエル「著作と文体」『読書について』75-105頁、岩波文庫、1960年。

*2:ニーチェ『善悪の彼岸』10頁、岩波文庫、1970年。