ぼっちがつらい?違うね。孤独こそ幸福の源泉だよ。

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アローラ!イエロー(@inahime_poke)です。

ぼくは1人の時間がいちばん好きです。何の雑音もないなか、誰もいない自宅で、キーボード叩きながら文章書いてるこの瞬間。至高すぐる。

「孤独」というのは一般的にネガティブなイメージを持たれがちだけど、ぼくは「孤独を好む人こそ優れている」と考えています。 優れている人ほど孤独になろうとする。

反対に、群れる人間ほど劣等。これは自然の摂理でさえあると思う。集団行動する生き物って単体ではめっちゃ弱いですよね。ミツバチとか、スズメとか、イワシとか。ポケモンなら「ヨワシ」がまさにそう。

今日はそんなお話。

「孤独である」ということを捉えなおす

「リア充」の対にある「ぼっち」「非リア充」の人たちは、孤独である自らを卑下している。つまり、「ぼっち=悪(恥ずかしいこと)」という前提が無意識のうちにあるということになる。

じゃあ、ぼっちは本当に悪いこと、恥ずかしいことなんだろうか。まずは前提から疑ってみるべきであろう。1人でいることがそんなに悪いことなのか?

ぼっちは集団に順応できないことから生まれる

ぼっちはなぜ生まれるかと考えてみると、概ね「集団に順応できないから」であることが多いと思います。

「集団に順応できない」のはなぜかと考えてみると、その集団の構成員と同質性があまりないから。つまり集団においては「みんなと同じ」がジャスティスな世界です。

  • みんなが見ているテレビを見ていれば、共通の話題に事欠かない
  • みんなが聞いてる音楽を聞いていないと、話についていけない
  • みんながキライな先生は、私もキライ

これができる「器用な」人間は集団に順応するけれど、できない人間は集団に順応できない。そんな感じ。

無理して同質化しない

集団で生きていると、より多くの人と群れていることが、そしてよりヒエラルキーの高い位置に(スクールカーストの上位に)交友関係を持っていることが、ステータスだと錯覚してしまう。

そしてその集団で生きていくためには「みんながやっていることを同じようにやる」こと(つまり同質化)が求められる。それでしんどい思いをしてる人って多いんじゃないかな?

でもねー、「誰と付き合っているか」「どれだけたくさんの友達*1がいるか」はあなたの本質的な価値ではない。周りの人からどう思われようとも、結局あなたはあなたでしかない。二木佳奈多さんの言葉を反芻しましょう(唐突

確かに1人でいることはその集団に順応できてないことの証明ではある。でも、それ以上のものではない。

「集団に順応できない」というのは、その人が劣っていることを証明するものではない。単に周りの人と同質性がないだけ。

周りがあなたより精神的に下等なのかもしれないでしょ。別に周りと無理して合わせなくても良いんじゃないの。

どうせ周りの人間がいってることはテレビやまとめサイトから引っ張ってきた話題をオウム返しのように言い直しているだけ。

なんか群れて強くなった気になってる人間が多いけど、単体として抽出された時になんの面白みもない平凡な人間なんて欠片ほどの価値もない。

この境地に達すれば、一人でいることになんの違和感もなくなるし、むしろ外面だけの交際が煩わしくなってくる。僕は大学生の頃この考え方をはっきりと持ったんだけど、ぼくが心酔しているショーペンハウアーも、やっぱり同じことを言っているのを後で見つけたときは少し嬉しくなった。

ぼっちのカリスマ:ショーペンハウアー

ぼくはショーペンハウアーが大好きです。心酔してます。彼は優秀な哲学者であり、他の著作もおもしろいんですが、この『処世術箴言』もズバリ切れ味抜群です。

孤独を愛さないものは、自由をも愛さないものというべきだ。というのは、人は独りでいる間だけが自由だからである。…(中略)…社交は犠牲を要求するが、自己の個性が強ければ、それだけ犠牲は重くなる。したがって人間各自、自己に具わる価値と正確に比例して、孤独を逃れたり、孤独に耐えたり、孤独を愛したりするであろう。
出典:ショーペンハウアー『幸福について』(橋本文夫訳)211頁、新潮文庫、1958年。

あとはこんなことも言ってます。

普通の社交界で人の気に入るには、どうしても平凡で頭の悪い人間であることが必要なのだ。だからこうした社交界では、われわれはほかの人たちと似たり寄ったりの人間になるために、大いに自己を否認し、自己の4分の3を捨てなければならない。 出典:ショーペンハウアー『幸福について』(橋本文夫訳)213-214頁、新潮文庫、1958年。

ほかの人間と同じになろうとして、自分の4分の3を失う。 …なんと恐ろしい。そこまでして関わる価値がある人間なら、とことんまで関わればいいと思います。

でもそんな価値のある人ってそう多くはないよね。だから必然的に付き合う人間の範囲は狭くなる。いわゆる「狭く深く」という付き合いがこれ。

この他にも

  • とことんまで相手にしているのは、結局自分自身だけ
  • 孤独は幸福と平静な気持ちの源泉
  • 人の本来有するものが多ければ、その人にとって他人の有する価値はそれだけ少ない
  • 人間の社交本能も(中略)社交界に対する愛に基づくのでなく、孤独に対する恐怖に基づいている

など、簡潔に、明快に、そして辛辣に、ぶったぎってくれています*2

孤独はおよそ優れた人々の運命的な持分なのだ。 引用元:ショーペンハウアー『幸福について』(橋本文夫訳)230頁、新潮文庫、1958年。

「孤独は優れた精神の持ち主の運命」なーんて言われると、「ああ、そうか。別に周りの人と合わせなくてもよかったんだわ。」って思えるよw

痛快すぎてショーペンハウアーに恋するレベル。そうなんだよ。このおじさんは僕の良き理解者だ…!ぼっちのカリスマだ!

孤独であることの効用

以上、無理して同質化しないのであれば、交友関係をごく親しい人に狭く絞り、可能であれば孤独を目指すべし。ということになります。もちろんそれには効用がある。

個性を圧殺しなくていい

社会不適合者は卑下されることもあるけれど、そもそも「社会」とやらの構成員の大半は平凡な、もう少しいうと 凡 庸 な 人間だ。そんな人達とわざわざ同化して、いったいなんの意味があるのか?

もしかしたらあなたはものすごく優秀な人間かもしれない。

あるいは他の人と違う独特な感性をもっていて、芸術の分野で独創性を発揮できるかもしれない。

周りに合わせるということは、あなたのそうした「個性」を圧殺することになる。どうしてそんなもったいないことするの?

「出る杭は打たれる」なんて誰が言い出したのか知らんけど、死ぬほど嫌いな言葉だ。

同質化しないということは独自路線を進むということであり、徹底的に個性的になることを目指すことになります。レッツオタク。

意思決定は100%自分ができる

群れることであなたの行動は窮屈になっていく。

集団で生きていく、集団で生活をしていくということは、自分の思うように自分の行動を決められないということ。

この点はいくら強調してもし過ぎることはない。

集団での意思決定において、個人の影響力は集団の母数に反比例します。

2人で行動するなら、2人の行動を決めるときの影響力(裁量)は2分の1になってしまう。

3人で行動するなら3分の1、10人で行動するなら10分の1、学校のクラスのように40人の集団なら40分の1しか意思決定に参画できない。

果たして集団で生きるということはそこまで価値のあることだろうか?

いま「ぼっち」の人や、「周りに合わせるのがしんどい」となんとなく感じている人は、ここにこそ疑問を持つべき。

疑問を持ったあなたはレッツ孤独。

ぼくは今のところ結婚する気がありませーん。結婚するということは2分の1しか意思決定に参画できないということであり、子供が生まれようものなら、3分の1, 4分の1しか自分の意思が反映されなくなる。

「それでもいい!この人といたい!」と思えるような人じゃないと、ぼくは結婚したくない。そういう人がいるかどうかは…明言を避けましょう()

ぼくぐらいの年齢になってくると、自明のように「結婚してー」とか言ってる人とか実際に結婚してる人とかがいてるわけですよ。でも結婚って自明の理でもなんでもないでしょ。別にしなくてもええやん。

孤独であることの不効用

大学生の時はかなり「ソロ充」的な生活を送っていたので、孤独であることの不効用があることもわかっています。

人生ハードモード

人生ハードモード。これに尽きる。

「リア充」の集団には、テキトーに講義受けてて出席日数ギリギリでも、なぜか過去問をゲットしたり「デキるやつ」のノートをゲットして、試験を乗り切ったりするヤツがいますよねw

残念ながら「ぼっち」であるあなたは、そういうことができません。大学生なら試験前に困ります。困ったら自分で何とかするしかない。

『ソードアート・オンライン』のキリトくん並の実力があれば問題解決です。あなたは今すぐ優秀になりさえすればよいのです()

集団生活に向かない

会社勤めとかするとしんどいだろうね、自分はしんどかったし、挙句の果てには適応障害を発症しました(笑)

結局今は、在宅ワークと、自分が好きなバドミントンで生きていく道を模索してます。

社会不適合者こそ「ソロ充」すべし

1人でカラオケ(ヒトカラ)

ええやん。好きな曲歌い放題。カラオケいって選曲で空気読む必要なし!

拙者wwwwずっとハルヒ歌ってるでござるwwwwww(殴

しかも、4人でいくカラオケの4倍歌えるってすごくない?

1人で大学の講義を受講

ええやん。興味のある科目、選び放題。

誰かと時間割を相談せずに、好きな科目が選べまっせ!むしろ大学生はそうあるべきだよね。自らの興味関心に応じて科目を選択していくべき。

1人で焼き肉

ええやん。好きな肉食い放題やんけ!

ペース配分も自分で決められる。もう無難に初っ端からカルビを頼む必要はありません。

豚トロ?ホルモン?てっちゃん?ええやん。どんどん食べとこ。

1人で居酒屋、1人でカフェ

すばらしい。1人で物思いに耽るには最高の選択じゃないですか。

物書きにも持ってこいかと。

まわりのガヤガヤをBGMに、居酒屋で1人酒を煽りながらのんびりするのって意外と悪くないよ。

1人でご飯

ええやん。そのうち穴場的なお店がきっと見つかる。

どんどん新しい店を開拓していけるって素敵!1人でご飯が恥ずかしいだと?何を寝ぼけたことをいってるんだ。便所飯なんて旧世代のぼっちがやることだ。ソロ充しようぜ!

「ソロ充」に変わる新しい言葉がほしい

ソロで充実してる人=ソロ充であり、それは自信を持ったぼっちのこと。

ソロ充、孤高のぼっち、ぼっち充、一匹狼、おひとりさま…

まあ呼び方はなんでもいいんだけど、とにかくソロ充はライザップを終えた峯岸みなみさんのようなものです!(何が

ここまで書いててアレなんだけど、ソロ充って言葉、ダサいよね(ぁ

なんか新しい言葉を考えたい。。

とりあえず、「周りに合わせるのがしんどい」というアナタは無理に合わせなくていいし、もしかしたらそれはアナタが優秀だからかもしれません。

早くから孤独になじみ、まして孤独を愛するところまできた人は、金鉱を手に入れたようなものだ。
引用元:ショーペンハウアー『幸福について』(橋本文夫訳)223頁、新潮文庫、1958年。

人生の金鉱を掘り当てましょう。

きょうの ぼうけんは ここまで
イエローでした~

*1:実際には、この文脈における「友達」という言葉自体が空虚なものだ。

*2:いずれもショーペンハウアー『幸福について』(橋本文夫訳)213-219頁、新潮文庫、1958年。